ダボシャツの歴史

現在のお祭りは、お祭りの参加者が楽しむためのお祭りです。 もちろん、お祭りを楽しむ事は悪い事ではありません。 しかし昔と比べると、お祭りに対する考え方が大きく変化したと言えるでしょう。

昔はお祭りとは、神様を祀るための神聖な儀式でした。 そのため祭りに参加する服装も、Tシャツとジーパンという軽装ではなく、当時の正装で参加するのが一般的でした。 その正装こそが、現在の祭用品の原点だと言えるでしょう。 ただ、正装と聞くと、現在の鯉口シャツとダボシャツを見て疑問に思うかもしれません。 「ちょっと簡素すぎないか?」と。 しかし江戸時代になると財政が悪化し、財政節約のために、正装が簡素化されたのです。 これは鯉口シャツとダボシャツに限った話ではなく、ハッピや半纏などの祭用品も同様です。

そして明治になると文明開化が始まります。 鯉口シャツとダボシャツといった祭用品は次第に衰退してしまいます。 ですが、東京オリンピックや大阪万博に、日本の伝統でもある祭用品に再度注目が集まるようになります。 そして今日のように、楽しむお祭りで、お祭りムードを盛り上げるアイテムとして、 鯉口シャツとダボシャツを着られる機会が増えています。 しかし一般の人はなかなか着る機会が少ないため、鯉口シャツとダボシャツは同じもの?という認識になりがちです。 分からない場合は、祭用品店のスタッフに購入時に尋ねてみるといいでしょう。

 

祭用品ですから、鯉口シャツやダボシャツの見た目が祭っぽいのは当然です。 この2つはよく混合されがちですが、祭用品の用途が異なります。 神輿を担ぐ際に着るのは鯉口シャツです。 あのピタッと身体に合わせた鯉口シャツの裾を股引の中に入れ、上から腹掛けを着る事で、重量がある神輿を担ぐ際に怪我をしないように作られているのです。 神輿を担ぐ、祭りの踊りを踊るなど激しい運動をする際には作業に適した鯉口シャツを着用するといいでしょう。

一方で、ダボシャツは祭の観客用の服装だと言えるでしょう。 祭の参加者が全員神輿を担ぐわけではありませんし、踊りを踊るわけではありません。 それらを見て楽しむ事がメインの人の少なくありません。 日本の夏は湿気が多く、じめっと汗をかいてしまいます。 そんなじめじめした日本の夏の祭りに快適なように、ダボっと身体を締め付けない、風通りがよく涼しい服装として作られたのがダボシャツなのです。

祭自体が、歴史が古く、日本の伝統行事なので鯉口シャツやダボシャツには、長い歴史があります。 江戸時代には祭用品としてだけでなく、職人の作業着としても着用されていました。 江戸時代は祭用品は手染めが主流でしたが、現在は新しい技術も時代とともに取り入れられています。

また従来は祭りと言えば、男性が中心でした。 しかし現在の祭りは、女性も楽しめる祭りが増えてきています。 そのため、女性が着やすい鯉口シャツやダボシャツなどの祭用品も増えてきています。 ただ、女性用のダボシャツも販売していますが、女性は鯉口シャツは着ても、ダボシャツは着ない人が多いようです。

 

鯉口シャツもダボシャツも祭用品であり、どちらも和服です。 和服=着物というイメージが強いかもしれませんが、和服とは日本の衣服、日本の伝統衣装という意味です。

ただし鯉口シャツやダボシャツの歴史がいつ頃から始まったのか和服の歴史を見てもはっきりと明記されていません。 では次に祭の起源についてさかのぼってみる事にしました。 鯉口シャツもダボシャツ、夏用の祭用品と限定されているわけではありません。 しかし、鯉口シャツの汗を吸いやすく、また乾きやすい生地に拘っている点、そしてダボシャツの、ダボっとした風通しを最優先させたデザインを見ていると、どうも夏祭りの際に着られていたのではないかと推測出来ます。

夏祭の起源となったのは、現在でも全国的な人気を誇る京都の祇園祭です。 祭の神輿や祭囃子も祇園祭から始まったと言われていますから、神輿を担ぐのに最適な鯉口シャツもこの時代からあったのではないでしょうか?

祇園祭の起源は869年です。そして現在のような祇園祭になったのは974年と伝えられています。 ただ当時の祭用品は現在よりも、祭自体が神聖な儀式として執り行われていたために、もう少し正装だったかもしれません。 そして江戸時代に財政上の問題で、祭用品は簡素化されたと言われていますから、簡素化されて今のような鯉口シャツやダボシャツの形になったと考えるのが自然でしょう。

祭用品は、祭りに参加する時に、その気分や祭りの場の雰囲気を盛り上げてくれますし、同じ服装をする事で一体感も生まれます。 着方も難しくありませんし、着物よりも価格が非常にリーズナブルです。 和服に触れたいと思った時に、一番手にとりやすい、衣装なのかもしれませんね。