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豊川市の配送情報・お祭り情報

豊川市の配送情報・お祭り情報

豊川市で開催されるお祭り情報をご紹介致します。
また、お祭り用品が豊川市へ届くまでの最短お届け時間についてもご確認いただけます。

豊川市のお祭り一覧

御油夏祭り

御油夏祭り

御油夏祭り

開催日時
例年8月8月第1土・日曜日
開催地
神社名:御油神社
〒441-0211
愛知県豊川市御油町膳之棚31番地
TEL.000-0000-0000
アクセス
【電車】
名鉄名古屋本線「御油駅」から徒歩約5分
【車】
東名高速「音羽蒲郡インターチェンジ」より約10分

御油夏祭り とは

祭典前日の宵宮には神事や煙火箱の練りこみがあり、祭典1日目には神幸行列が行われます。
この行列を、高砂車とよばれる翁と嫗の人形と松を載せた大八車と神馬(現在は模型)が先導し、この行列の先触れとして西町・本町・新丁・相生・追分の囃子車と音羽の巫女車が曳航し、囃子車ではお囃子が奏され、巫女車では男児が巫女舞をし、神社前や御旅所では中学生男児による2対の獅子舞が行なわれます。
一方で、子供連と青年による煙火櫓の練りこみが町内を巡り、夜になると音羽川左岸の川原では仕掛け花火や大筒、筒場では打ち上げ花火、スターマインが上げられます。
祭典2日目は各町の計6台の囃子車と巫女車が音羽の御旅所の前に集まり、御油橋に勢揃いした後、旧東海道を西進し、御油のマツ並木まで向かいます。
そして高砂車と神馬、神輿が25本の松明が待つ東林寺に向かい、これに照らされながら御油神社を目指し、神社の本殿までに137段もの石段があり、松明の明かりを頼りに一気に駆け上っていく姿は圧巻です。
時を同じくして御油町内各所で先の花火のほか手筒花火、尺玉花火などが行なわれます。
祭礼は、神輿を本殿に安置し、獅子舞を奉納した後、境内の明かりを消し暗闇の中で御霊代が宮司によって本殿に戻されて厳かな雰囲気の中終了します。

御油神社の御祭神

伊弉册尊

御油神社の御由緒

社伝に文安元(1444)年、熊野族の稲石五郎蔵光朝、紀州本宮より当地に移り御油城を築いて、9月26日若一王子権現を祀る。稲石氏代々崇敬して戦国時代に至る。
稲石五郎蔵光朝は林五郎三郎ともいう。
天正6(1578)年8月の棟札に奉造立若一王子、林治郎右ヱ門勝家とあり、慶長6(1601)年伊奈備前守忠次社領二石を寄進以降御油町の産土神として栄える。
社家は神道氏治郎右ヱ門勝家以来世襲する。
明治13年村社に列し、同31年12月27日踊山神社号を御油神社に復称す。
同40年10月26日供進指定をうけた。昭和20年11月26日、郷社に昇格する。

若葉祭(うなごうじ祭り)

若葉祭(うなごうじ祭り)
若葉祭(うなごうじ祭り)

若葉祭(うなごうじ祭り)

開催日時
【2020年開催中止】例年4月7日・8日に近い土・日曜日
新型コロナウィルス感染拡大防止のため、山車や行列は中止となりました。
お宮内での神事のみの実施を予定しております。神事については一般の方はご覧いただけません。
開催地
神社名:牛久保八幡社
愛知県豊川市牛久保町常盤164番地
アクセス
【電車】JR飯田線「牛久保」駅下車徒歩6分
名鉄豊川線「稲荷口」駅より徒歩9分
【自動車】東名高速「豊川IC」より車で約15分

若葉祭(うなごうじ祭り)とは

「牛久保の若葉祭」通称「うなごうじまつり」は牛久保八幡社の祭礼で、愛知県の無形民俗文化財に指定されています。
2輌の囃子車と神児車、各組のシンボルである「ダシ」(馬簾)、笹踊りが勢揃いし、御神体である獅子頭を中心に八幡社からお旅所の天王社までを行列で往復します。
笹踊りの囃子方「ヤンヨウガミ」が笹踊りの歌に合わせて、ところ構わず「うじ虫」のように寝転がることから「うなごうじ祭」と呼ばれるようになったとも言われています。
主に八幡社前に留め置かれる2輌の大山車(おおやま)で行われる「かくれ太鼓」は、唐子衣装を着た中学生の稚児が笛や小太鼓に合わせて首を振りながら踊るもので、初めてみる人の中には稚児を人形と見間違える人もいるそうです。
天下の奇祭として有名な若葉祭は、この地域の春の風物詩です。

牛久保八幡社の御祭神

品陀和気命(ほむだわけのみこと)(応神天皇)、仁徳天皇

牛久保八幡社の御由緒

地方において最大の八幡社で、天平神護年間(765)三河国飢饉に出見舞われ朝廷倉庫を開いて救済につとめ国司住民に神を祀らしめ、大雀命を勧請す。
建久、正治(1190-1200)安達藤九郎盛長社殿を再建し、永享11(1439)年一色刑部小輔時家社殿を改築。
明応2(1493)年牧野成時城内鎮護の八幡宮と合祀若宮八幡宮と称した。
その後天正3(1575)年5月、信長、家康、長篠合戦出陣に際し、武運を祈鹿する.徳川時代旗本米津氏の知行所となり、領主代々初穂米を献じ崇敬する。
明治5年10月、郷社に列し、大正7年7月24日、祭神増加(仁徳天皇)公許せらる。山本勘介は此の地の住人なり。

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