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一日中歩いたり、練ったり、走ったりするお祭りには最適です。


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裏まで黒いこだわりの足袋です!

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足袋の着こなしなど

やはり祭の正装は清潔感のある白が基本です。もちろん黒で足元を引き締めるも良し、色柄物でコーディネートを楽しむのも良いですね。特に白足袋はどんな色にも合わせやすいため、一足は用意しておきたいものです。

橋本屋の足袋の特徴は

地下足袋も弊社オリジナル商品を作成しております。同じグレードなら間違いなく弊社の地下足袋が品質・価格的にもお勧めです。店頭で数千〜数万足販売実績のある商品ばかり集めて掲載しております。他社にない足袋もここにあります。
粋でいなせな足袋は昔ながらの草鞋(わらじ)に草鞋掛け(わらじ専用足袋)がいいでしょう。
江戸天下祭にここ数年参加している静岡県掛川市横須賀の三熊野神社御祭礼参加の白足袋も横須賀の地元で作成しております。その品もネット販売しております。ちょっと面白い特殊【裏に補強してあります】な足袋でもあります。

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祭り足袋、祭り地下足袋の歴史

日本古来からある【足袋】昭和の20年以前(戦前)に生活する普段着や当時の子供時代の着るものとして着物を着ていた時代にはおなじみの履物でありますが、生活様式の変化と共に今ではかなり縁遠い存在になりつつあります。
しかし一方では根強い愛用者もあり、【地下足袋】という日本独特の履物は今もなお、とび職をはじめ、土木、林業、農業用、お祭用として生き残っています。 足袋の出現について文献を調べると、奈良朝(710〜794年)以前から存在したと言われ平安時代(794〜1185年)には襪(しとうず)と呼ばれる今の靴下に似た鹿の皮を毛付きで縫った指先の別れていないもので、中国の靴やエスキモーのブーツに似た形状のものでありました。鹿の一枚皮で作った半靴(踝までの浅い靴)でしたので,単皮(たんぴ)とよばれて,これが【たび】の呼び名になったとの一説もあります。又,承平年間(931〜938年)の【和名類聚抄】には多鼻(たび)の文字が使われています。
室町時代(1338〜1573年)に入り当時の武士階級の履物として次第に普及し始め、今の【足袋】の基本様式に近いものが使用されるようになりました。
しかし、この足袋を履くには、領主などの許可が必要で、時期も9月から2月までの寒い時期に限られ、年齢も60歳以上の高齢者に限り履いてよし、というように、なかなか厳しい制約がありました。当時の足袋はとても高価で、白や紫に染色したなめし革製品であったため、たとえ制約がなくても、到底一般庶民が手に入れて履けるようなものではありませんでした。
しかし色足袋は今も歌舞伎や舞踊、能・狂言にその名残りをとどめています。以後、江戸時代に入って、武士や一部の富豪の履物となって次第に普及はしましたが、まだまだ庶民には手の届かない履物でありました。しかし、寛永16年(1639年)の鎖国令にもとずく輸入革の不足と、明暦3年(1657年)の江戸大火災で革製品が暴騰し、武士階級でも入手困難な時期に入り、次第に布製の足袋が作られるようになり、今の足袋に近い履物へと進化、変化していきました。

足袋につき物の【甲馳=コハゼ】という舌状の留め(掛け)金具の考案は、元禄年間(1688〜1703年)以降で、それまではヒモで結ぶものや貝殻ボタンにひもを引っかける方法がほとんどでありましたが、この甲馳の発明により一段と便利なものへと進化していきました。 足袋は宝暦年間(1781〜1763年)頃になってやっと一般化し、年中使用される大衆の履物となり、夏物・冬物などと分類して作られる時代になりました。色も女性や金持ち階級には白、旅行や仕事用には汚れの目立たない紺色(藍色)などが愛用されました。そのほかには、赤みのある土色(薄柿色)や浅葱色(薄い藍色)鼠色、さらには柄の足袋まで作られるようになりました。その頃の遊郭では町人が廓通いに使用した【一夜足袋】といって足袋の上から汚れを防ぐ【紙足袋】(今で言う足袋カバー)が吉原で流行ったという文献もあるらしい。
生地も麻、木綿のほか、正絹、等の多様なものが使用されるようになり、さらに明治(1868〜1912年)・大正時代(1912〜1926年)に入るとメリヤス生地(現代の肌着の生地)まで出現して多種多様に発展してきました。 当時の足袋の底は、厚手の帆布のようなものを何枚か重ねて、丈夫な糸で刺した刺し底足袋でした。しだいに特に足袋底を厚くして丈夫にした刺子足袋が【地下足袋】の原型となった。
【地下足袋】の出現は、文明開化の時代に入り、【ゴム】というとても便利な素材が安価に手に入り始めてからである。明治15年〜16年(1882〜1883年)に東京神田末広町の【松田商会】が農家や職人向けに販売した専売特許の【ゴム底地下足袋】が今日の【地下足袋】の元祖と業界では伝われている。以後大正から昭和・平成にかけてにかけてさまざまな改良が加えられ、祭り専用の地下足袋が各種産まれてきました。現状は足袋・地下足袋メーカーも非常に厳しい経営環境ではありますが、なんとしてでも日本の伝統文化の履物である【足袋・地下足袋】を後世に残してほしい物ですね。


参考文献
江戸服飾史(青蛭書房)・服飾百科事典(岩崎美術社)・日本風俗史辞典(弘文堂)・はきもの(法政大学出版局)・地下足袋(ワールドフォト)・装いと日本人(講談社)・服飾辞典(文化出版局)・足袋について(奥原志づ江・原ますみ)ほか






足袋の原型は、「しとうず」と呼ばれる靴下のような物です。足首を紐で結び使用されていました。基本的には貴族などの位の高い人々の履物だったようです。これに対して武家の服装として生まれたのが鹿などの動物の皮で作られた短靴「単皮 (たんび) 」です。この 「たんび」が時代を経て、「たび」になったと言われています。

現代では綿を使用し作成されるのが一般的となっていますが、ポリエステルなどの化学繊維を使用した伸縮性に長けた物も製造されています。お祭においては綿で作られた物が一般的な物となっており、色は「白」「黒」「藍(紺)」が多く使用されています。特に白足袋はお着物の際にも、改まった服装や慶弔等の行事ごとの際にも用いられており儀式用・正装用に近い意味合いがあります。お祭の基本は豊作,豊漁祈願および感謝をする神事となっている事が多く、純白で汚れのない白足袋の着用を義務付けている地域も多く見られます。黒足袋は白足袋のように汚れが目立たないので経済的と考え考案されました。また能や歌舞伎の舞台上で黒子が動いた際により目立たなくするために足袋底まで黒い生地を使用したからす足袋と呼ばれる物もあります。藍染の足袋に使用されている生地には古来より虫除けや蛇避けの効果があるとされており農耕時の作業服として広く使用されてきました。また赤外線効果による保温効果と熱を逃がす放熱効果の両方を兼ね備えているので、夏は涼しく冬は暖かくお年寄りや冷え性の方に非常にお勧めです。

色以外の点については、雪駄や草鞋などと合わせて使用する岡足袋と、底部分にゴムを貼り付けそのまま外を歩ける地下足袋の2種類があります。岡足袋は白を基本として、伸縮性の高いポリエステル足袋、本格的な藍染を使用した足袋など非常に多くの種類が発売されています。地下足袋では底部分に「エアークッション」や「低反発素材」を使用した足腰への負担を軽減できる高機能な足袋が非常に人気となっています。

また足袋の大きな特徴としてかかと部分を留める金具「こはぜ」があります。足袋の原型である「しとうず」は紐で縛る物でしたが、江戸時代に入り留め具タイプのこはぜが使用されるようになりました。こはぜは枚数が少ないほど正座の際に楽なつくりとなっており、長いほど立った際の姿が美しいとされています。

また足袋はサイズを文数で表示していましたが、これは江戸時代の一文銭の直径を単位とした物だそうです。現在は靴と同じようにセンチ表示が一般的となっています。選び方も靴と同じサイズをお求めになる方がほとんどです。また最近では、指の股と股の間が空いていて足の裏が敏感になる足袋は、足が疲れにくくて健康にもいいと、その良さが見直されています。さらには洋装にも合わせられるカジュアルな柄やデザインの足袋も登場し、現代の若者や海外の人たちからも「新しいファッションの形」として認知され始めています。