股引きの歴史

気温が低い日が続く冬で、ズボンの下に防寒着として着られている「股引き」という下着があります。 股引きは室町時代から使用されているという長い歴史があります。 現在で人前では祭りの時や家で過ごすときに股引きは履かれることは多いのですが、普段着として使用することもあります。

股引き=おじさんが履くものというイメージによって若者などは人前で普段着として着用するということはあまり多くはありません。 だが、股引きは江戸時代から普段着として着用されてきたという歴史があります。 膝丈までの股引きが多くありましたが、同じ股引きでも長さが違うものもありました。

昔から作業服は、「吸水性が優れており、風通しの良さによって作業のしやすいもの」が求められていました。 その求められていた性能に股引きが合っていたため、作業服としても昔から使用されてきました。 比較的気温が高い時には膝丈までの股引きを着用し、低い時には足首までの長い股引きを着用するという使い分けも様々な場面でされていました。 時代はだんだんと過ぎていき、現代の日本では作業中よりも、寒さ対策としての冬の下着として使用されることが多くなりました。 また、股引きの温かさによって、寒くなる冬から春にかけて着用したいと考える人も増えてきています。

股引は古くから日本の衣類として着用されてきた歴史があります。 室町時代には既に仕事の作業時などに股引を着用していました。 今の日本ではそれぞれの都道府県・地域や地方によって言葉や伝統的な行事、町のつくりなど、様々な文化の違いがあります。

自分の地域の文化は誰もが当たり前だと思っているものです。 ですが、それが全く交流のない、違う地域や地方の人達にとってはその文化はおかしいと感じることや疑問に思われることが多くあります。 股引にはステテコやパッチなどの似た衣類が様々ありますが、文化の違いのようなものの1つで、判断材料の違いもあるのです。

基本的には作りの構造はあまり変わらず、見た目で股引かどうか判断するのは難しいものです。 今の日本ではどの材料で作られているのかによって判断する東日本と、長さで判断する西日本で分かれています。 これは、昔から続いている文化のようなものの1つで、どちらの都道府県の人達はその判断材料が当たり前だと思っています。

昔からどのようにして区別するのか考えられ、室町から江戸にかけて決まっていました。 どのように区別されるのかが室町に決まり、今の日本にまで続いています。 西日本の人達と東日本の人達が、同時に「股引はどのようにして似ているパッチなどと区別するのか?」と質問されると、意見は分かれています。

 

 

最近のエコブームにより、夏はクールビス、冬にはウォームビズが流行るようになっています。 今年は暖冬で比較的寒さもあまり厳しくはありませんが、それでも外は結構底冷えがしてきます。 オフィスなどでも冷暖房を節約する動きとなっており、女性にとって膝掛けは必需品となっています。 しかし、男性人が膝掛けをしている光景は目にしたことがなく、ズボンとはいえ我慢しているのでしょうか。

そんな男性人の間で流行っているのが、「ももひき」なのです。 股引きは、ダサいなどと敬遠する人が多くなり、時代とともに姿を消そうとしていましたが、ここにきて再び脚光を浴びています。 股引きの始まりは、室町時代とされています。 室町時代の服装は、ふんどしに着物姿が一般的でした。 これは武士や公家でも同様でしたが、身分の高い人を馬に載せるときに股が見えてしまうのは無礼ということで、ふんどしの上に履く股引きが作られたとされています。

江戸時代に入り、大工などの職人が股引きを履くようになってから、江戸の粋な男の姿として「股引き」がもてはやされるようになり、一般の男性ほとんどが股引きを履くようになったとされています。 そして、祭りのしきこれまでふんどしが当たり前でしたが、見えてしまうのはかっこ悪いとされみなが股引きを履くようになってから、股引きは祭りにはかかせないものとなっています。